良い母という呪い
どうも、和泉です!
すっかり日が暮れるのが早くなりましたね。
赤とんぼもだんだん見る日が少なくなり、
もうすぐ来る冬を肌で感じる今日この頃です。
さて、今回はちょっと
センセーショナルなタイトルをつけました。
「良い母という呪い」
はっきり言うと、
「良い母」という言葉は呪いだと思います。
なぜなら、
「良い母」であろうとするあまり
自分や子供を無理させて傷つけているのにも関わらず、
それに気が付かない母親が多いからです。
私の母もそうです。
母は「良い母」であろうとするあまり、
兄や私に対して非常に過保護です。
特に兄に対しての過保護がすごい!!
兄が何もしなくとも、
母がすべてのことをやってくれます。
その結果
ご飯を食べたなら茶碗は置きっぱなし、
服を脱いだら脱ぎっぱなし、
箸を目の前まで持ってきてくれないと料理に手を付けない!
私に対する過保護もすごいです。
調理の際、火は危ないから使うな。
包丁も危ない。
出かけるなら誰とどこに遊びに行って何時に帰ってくるか教えろ。
学校からはできるだけ早く帰ってこい。
もう、うるさい!!
何がいやかと言うと、
これらのことを面と向かって言うのではないのです。
なんとなーく質問や態度に紛れ込ませてくるんですよ。
だから、そんなこと聞かないで!
とか
なんでそんなこと聞くの!
って言うと、
ただ「聞いてみただけじゃない!」
とか
「あなたと話したいだけなのになんでそんなこと言われるの!」
とか言われます(笑)
もーいい加減にしてー
「良い母」であろうとすることが、
すべてを把握し、管理できるようにすることだと
思っている母親は多いと思います。
でも、果たしてそうなのでしょうか?
子供はいつかは親元から旅立ちます。
すべてに干渉して、
子供のことをすべて知るようにすることは
子供を自ら立ち上がらせることなのでしょうか?
私は、
親がいつ死んでもいいようにするのが親の一番の役割だと思います。
だから、
子供がある程度大きくなったら
親は自ら死ぬべきなのです。
この死ぬとは、
本当に死ぬことではなく、
子供の心の中に占める割合を減らすことです。
いつまでも子供の中心が親ではいけないのです。
だから、
母親はすぐに「良い母」であることをやめましょう。
「良い母」は子供のことを一歩引いて見守ります。
子供がくじけた時にそっと支えます。
そして、傷が癒えたなら、
またそっと舞台裏に下がります。
何もかもに口出しすることが「良い母」の条件ではないのです。
だから、
私の母ももう少し私を信用してほっといてくれたらなぁ……
はぁ……